2013年05月01日
預言者の苦悩(ジャンヌ・ダルクも同じ)
同じネタで何度も書いてごめんなさい笑。今日は映画「ジャンヌ・ダルク」についてどうしても書きたいことがある。
昨日は火刑とか魔女裁判について書いたが、実はそれは比較的どうでもいい内容だった。
もうすぐ始まるアニメ映画「聖☆おにいさん」の公開日(5/10)と、隕石物色&まかい(魔界ではない)の牧場ツアーに行くのが心待ちのワタクシであるが、最近読んでいる本やDVDの影響ですっかり頭の中が聖人モードになってしまっている。
この映画ジャンヌ・ダルクを実際に見た人にしか解らないかもしれないが、あとネットによるこの映画の感想も結構ひどいことが書いてあって
私とは意見がちょっと違う。
(あらすじ)
15世紀、英仏百年戦争下のフランス。小さな農村に生まれた信仰深い少女ジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は17歳を迎えて神の声を聞き、シノンの城で王太子シャルル(ジョン・マルコヴィッチ)に謁見。自分は神の使者だと語るジャンヌに国母ヨランド・ダラゴン(フェイ・ダナウェイ)と重臣らは不安を抱きつつも、彼女に軍を率いることを許す。
白い甲冑に身を固めたジャンヌはデュノア伯ジャン(チェッキー・カリョ)らが待つ前線に向かい兵士を鼓舞、みごとに勝利した。英国軍との激戦のさなか、ジャンヌは矢に胸を貫かれながらも命をとりとめ、英国軍を退却させた。この勝利で王太子はシャルル7世として即位。その間もジャンヌは進撃を続けたが、ヨランドらはジャンヌの人気を危惧し、彼女を裏切って敵に売ろうとしていたため、軍は疲弊。
気づくと、ジャンヌは国内の敵たるブルゴ−ニュ派の黒頭巾の謎の男(ダスティン・ホフマン)の手中に落ちて、囚われの身となっていた。異端審問にかけられ、一度は改悛の宣誓書を書かされたジャンヌだが、やがて良心が打ち勝ち、彼女は宣誓を拒否。かくして1431年ルーアンでジャンヌは火刑台に上り、19歳の生涯を閉じるのだった……。
☆☆☆
とまあ、ここまでは歴史に詳しい人には説明する必要はない。
子供の頃に自分の家族を目の前で英国軍に殺され、神を深く信仰しながらも祖国フランスを救いたいと強い信念を抱くジャンヌだが、本人には自分の心の奥底に復讐心があることに気が付いていない。頭の中に語りかけらる声を神からのお告げと信じ、軍を率いて快進撃を続けたが、ある日敵味方関係なく戦場に横たわる死体と血まみれの自分に我に返る。「こんなのを望んだのじゃない!」と。
一斉攻撃をかけた時にジャンヌは「私を愛する者は、私に続け!」と叫んで敵陣に士気の上がった兵を率いて乗り込んでいく。
が、ダスティン・ホフマン演じる謎の男(ジャンヌが想像していた神か、それとも悪魔か)ここで「お前はあの時、神を愛する者は私に続け、ではなく、私を愛する者は私に続け、と言った。正直になれ、ジャンヌ。お前は神の名のもとでなく、お前の名のもとに戦ったのだ。」という言葉に、愕然とする。
火刑にかけられる前に、ジャンヌは謎の男(私は天使と解釈している)に最後の告解する。
「私はあまりにも多くの罪を犯しました。あまりにも多くの徴(サイン)を見ました。自分が見たいと臨んだものを。。。私は戦いました。復讐の気持ちと絶望から。。。私は高慢で頑固で利己的で無慈悲でした」
ジャンヌが今まで神からのお告げ(サイン)と信じていたものは、実は彼女が復讐を果たすために望んでいたもの(夢想)だったことを認めたということなのであろう。
風や雲や光。。。それを徴と信じていたジャンヌだがそれはただ単に自分が「神のお告げと思いたいからそう見えたり感じた」ということなのだろう。その結果があまりにも多くの血が流れてしまったことに彼女は絶望する。
これは主のお告げで、主が望んだことで、私はただの使徒(メッセンジャー)なだけ、でもどうしてこうなってしまったの?という感じである。
色々な文献を読んでみると、ジャンヌは気性がかなり激しく狂女とも呼ばれていた、とある。そのことだけに集中している時は偏狂的で例外はないのだろう。そういうビジョンを見た→神からのメッセージ。。。みたいな。
これは恋愛にも非常に当てはまる。
「二人の出会いを運命と定義づけたい人」は特にそうだ。偶然の一致
をサインとしてポジティヴに無理やり解釈しようとする。
出身地が同じだった、何度も鉢合わせる、共通の友人がたまたま話に出た。。。等。こういうのが何度も繰り返し重なると「間違いなく運命の人」と思い込んでしまう。
「あの人はやっぱ運命の人だった」というのは可愛いもんだ。
でもジャンヌレベルの場合は流れた血の量から言えば、「お告げだと思ってたけど、やっぱ気のせいだった」ではすまない。
自分が見たいと望んだものを神のお告げのように捉える。。。というのは、別に悪いことではない。
ただそれが「神がお告げでこうおっしゃてるので、必ずこうしてください」というのは絶対ダメだと思う。
ジャンヌが「私は高慢で、頑固で、利己的で、無慈悲だった」と言えたのは本当に凄いことだと思う。
わずか19歳の女性が自分の罪を認め、そこまで悟りを開いのだから。
大概は「私はフランスを救ったんだよ、私は神の使徒だってことを証明したでしょ!」と開き直るだろうに。
だから、やっぱりこの映画の中で一番人間として惹かれたのは、最後の告解シーンだ。
でもあの映画の中でジャンヌ演じるミラ・ジョボヴィッチが「FOLLOW ME!!!(私についてきて!!)」と叫ぶ姿は本当に美しかった。
現実だったら。。。彼女の大義はなんであれ、ついて行きたくなるかも笑
昨日は火刑とか魔女裁判について書いたが、実はそれは比較的どうでもいい内容だった。
もうすぐ始まるアニメ映画「聖☆おにいさん」の公開日(5/10)と、隕石物色&まかい(魔界ではない)の牧場ツアーに行くのが心待ちのワタクシであるが、最近読んでいる本やDVDの影響ですっかり頭の中が聖人モードになってしまっている。
この映画ジャンヌ・ダルクを実際に見た人にしか解らないかもしれないが、あとネットによるこの映画の感想も結構ひどいことが書いてあって
私とは意見がちょっと違う。
(あらすじ)
15世紀、英仏百年戦争下のフランス。小さな農村に生まれた信仰深い少女ジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は17歳を迎えて神の声を聞き、シノンの城で王太子シャルル(ジョン・マルコヴィッチ)に謁見。自分は神の使者だと語るジャンヌに国母ヨランド・ダラゴン(フェイ・ダナウェイ)と重臣らは不安を抱きつつも、彼女に軍を率いることを許す。
白い甲冑に身を固めたジャンヌはデュノア伯ジャン(チェッキー・カリョ)らが待つ前線に向かい兵士を鼓舞、みごとに勝利した。英国軍との激戦のさなか、ジャンヌは矢に胸を貫かれながらも命をとりとめ、英国軍を退却させた。この勝利で王太子はシャルル7世として即位。その間もジャンヌは進撃を続けたが、ヨランドらはジャンヌの人気を危惧し、彼女を裏切って敵に売ろうとしていたため、軍は疲弊。
気づくと、ジャンヌは国内の敵たるブルゴ−ニュ派の黒頭巾の謎の男(ダスティン・ホフマン)の手中に落ちて、囚われの身となっていた。異端審問にかけられ、一度は改悛の宣誓書を書かされたジャンヌだが、やがて良心が打ち勝ち、彼女は宣誓を拒否。かくして1431年ルーアンでジャンヌは火刑台に上り、19歳の生涯を閉じるのだった……。
☆☆☆
とまあ、ここまでは歴史に詳しい人には説明する必要はない。
子供の頃に自分の家族を目の前で英国軍に殺され、神を深く信仰しながらも祖国フランスを救いたいと強い信念を抱くジャンヌだが、本人には自分の心の奥底に復讐心があることに気が付いていない。頭の中に語りかけらる声を神からのお告げと信じ、軍を率いて快進撃を続けたが、ある日敵味方関係なく戦場に横たわる死体と血まみれの自分に我に返る。「こんなのを望んだのじゃない!」と。
一斉攻撃をかけた時にジャンヌは「私を愛する者は、私に続け!」と叫んで敵陣に士気の上がった兵を率いて乗り込んでいく。
が、ダスティン・ホフマン演じる謎の男(ジャンヌが想像していた神か、それとも悪魔か)ここで「お前はあの時、神を愛する者は私に続け、ではなく、私を愛する者は私に続け、と言った。正直になれ、ジャンヌ。お前は神の名のもとでなく、お前の名のもとに戦ったのだ。」という言葉に、愕然とする。
火刑にかけられる前に、ジャンヌは謎の男(私は天使と解釈している)に最後の告解する。
「私はあまりにも多くの罪を犯しました。あまりにも多くの徴(サイン)を見ました。自分が見たいと臨んだものを。。。私は戦いました。復讐の気持ちと絶望から。。。私は高慢で頑固で利己的で無慈悲でした」
ジャンヌが今まで神からのお告げ(サイン)と信じていたものは、実は彼女が復讐を果たすために望んでいたもの(夢想)だったことを認めたということなのであろう。
風や雲や光。。。それを徴と信じていたジャンヌだがそれはただ単に自分が「神のお告げと思いたいからそう見えたり感じた」ということなのだろう。その結果があまりにも多くの血が流れてしまったことに彼女は絶望する。
これは主のお告げで、主が望んだことで、私はただの使徒(メッセンジャー)なだけ、でもどうしてこうなってしまったの?という感じである。
色々な文献を読んでみると、ジャンヌは気性がかなり激しく狂女とも呼ばれていた、とある。そのことだけに集中している時は偏狂的で例外はないのだろう。そういうビジョンを見た→神からのメッセージ。。。みたいな。
これは恋愛にも非常に当てはまる。
「二人の出会いを運命と定義づけたい人」は特にそうだ。偶然の一致
をサインとしてポジティヴに無理やり解釈しようとする。
出身地が同じだった、何度も鉢合わせる、共通の友人がたまたま話に出た。。。等。こういうのが何度も繰り返し重なると「間違いなく運命の人」と思い込んでしまう。
「あの人はやっぱ運命の人だった」というのは可愛いもんだ。
でもジャンヌレベルの場合は流れた血の量から言えば、「お告げだと思ってたけど、やっぱ気のせいだった」ではすまない。
自分が見たいと望んだものを神のお告げのように捉える。。。というのは、別に悪いことではない。
ただそれが「神がお告げでこうおっしゃてるので、必ずこうしてください」というのは絶対ダメだと思う。
ジャンヌが「私は高慢で、頑固で、利己的で、無慈悲だった」と言えたのは本当に凄いことだと思う。
わずか19歳の女性が自分の罪を認め、そこまで悟りを開いのだから。
大概は「私はフランスを救ったんだよ、私は神の使徒だってことを証明したでしょ!」と開き直るだろうに。
だから、やっぱりこの映画の中で一番人間として惹かれたのは、最後の告解シーンだ。
でもあの映画の中でジャンヌ演じるミラ・ジョボヴィッチが「FOLLOW ME!!!(私についてきて!!)」と叫ぶ姿は本当に美しかった。
現実だったら。。。彼女の大義はなんであれ、ついて行きたくなるかも笑
Posted by fortuneteller yuki at 23:23│Comments(0)
│fortuneteller YUKI
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