昨日は豊橋講座の日で双子座の生徒さんと近況報告などをしあっていた。
彼女は今、L'Arc-en-Cielのhydeさんにハマッていてその魅力をかなり熱く語られたのだが、hydeさんにハマッた理由というのが、L'Arcの神曲だとかビジュアル的なものとかそういう事ではなくhydeさんのファンとのやりとりのメッセージの中にさりげない気遣いがあるとか人間性に惹かれたという内容だった。
自分がL'Arcに関心が薄いのであくまで聞く側ではあったが、実は私にも最近同じような経験があった。
まあ、このブログを読んでくれてる人は大半が昭和か平成生まれの方しかいないと思うので時代的に少々レアな内容になる。
先日探しものでネット検索していた時にあなたにお薦めの的な感じで上がってくる動画の中に、30年位前に『夜のヒットパレード』で見た『渚のオールスターズ』の映像があったので懐かしくなり探しものそっちのけでつい観てしまった。
https://youtu.be/PnDYIXMqz1E
青春時代真っ盛りで、とにかく織田哲郎さんの楽曲と歌声が大好きだったあの頃。
まだブラジルやサンバとはまだ何の繋がりもなく海外に行ったことがなかったので日常的には日本のポップスを良く聴いていた頃だ。
でもこの動画を見てたった今の自分が感じた事は、、、1番強く印象に残ったのは大江千里さんのパーカッションの扱い方と楽曲への柔軟性である。他にも著名アーティスト揃いの中、私が終始観ていたのは大江さんのみだった。
動画コメントには大半が織田さんとTUBE、田原俊彦さんへの賞賛コメントだったので、大江さんの分は敢えて私がここに書く。
動画の中で最初、この人誰だっけ、、ああ確か大江千里だ懐かしいな、若いなあと思って姿を追っていたのだが凄く自然で楽しそうにパーカッションを叩き(リズムも取り方が裏打ち)、何なら映像のアーティストの中で1番アピール力があった。
私の中で大江千里=静のイメージのソロボーカルというイメージしかなかったのだが、この人パーカッションやったらきっと凄いだろうなと思って『大江千里 現在』で検索したら、何と現在はアメリカニューヨークでジャズピアニストとして活躍しているらしいのだ。
なるほど、ヒッパレの動画を観たときに感じたあの躍動感や解放感がカチッと合わさった感じがした。
大江さんの記事を探して読んでみた。
更にその中でも私が1番共感できた部分はここだ。
(以下記事抜粋)
自分が持っている以上の力を出して、「血尿が出ても走り続けるぞ!」と冗談で言うくらい、自分に枷をしていた部分があったのですが、ニューヨークで過ごすうちに、日本でのやり方はここでは通用しないとはっきり感じたんです。日本でめちゃくちゃ頑張っているのは紛れもない事実なのに、ここではまだ自分は何者でもない。その「何者でもない自分」の不安と焦燥感は驚きでした。
自分が思うクリエイティブになればなるほど、新しい一面を見せれば見せるほど、売り上げやヒットチャートの順位は下がっていく。
これまで培ってきた想像力や技術や経験を純化してつくった作品の評価がそうなるのだったら、自分が美しいと思えるポップスをやり続けるのはもう難しいのかも知れない。場所を変えるか、職業を変えるか──。そう試行錯誤した時期は、今振り返ると人生で一番エネルギーを使った時期かもしれません。自分としては葛藤していたこの頃の作品がいまも大好きなんですけどね。
https://oceans.tokyo.jp/article/detail/29006
31歳の時は人気と忙しさがピークだったためニューヨーク移住を諦め、47歳になると信号が次々と青に変わっていき、単身渡米しジャズピアニストとして歩いていく基盤が出来上がったのだそうだ。
そのタイミングが来た時に信号は必ず青に変わって進んでいけるというのはタロットでいう『運命の割』が出た時だ。
『頑張っている』人に対してエールを送る。これが占い師としての役割だと思っているのだが、『頑張る』の定義が時代と共に変化しているのも実感できる。
『頑張る』ということが苦労性とか貧乏性という考え方や、あらゆる場所や人から有益な情報を得て、無駄なく効率良く生きていくことが利口な生き方という時代なのかもしれない。また頑張る箇所やポイントにも時代や世代相違がある気がする。
しかし風の元素の後には水の元素が来るので、風(有益な情報)も水(優しさ)の優しさがなければ活かされないと思う。
頑張る(火)事が時代遅れで、有益な情報で効率良く(風)に生きる事が良しとされる時代が来ても、人間には心(水)がありその湿度や浸透力は人間には不可欠なものである以上、他者を思い遣る気持ちは人間である以上かけがえのないものだと思う。
仕事も趣味でもあと人付き合いも『石の上にも3年』という言葉があるように長い時間を積み重ねないと見えて来ないものもあり、それが信頼とか信用に繋がると思う。
私は楽曲には歌詞は必要ないと思うタイプで言葉をあまり重視しない人間なので余計そうなのかもしれないが
ブラジルサンパウロで生活する中で、言葉が通じなくても人と心を通わせることはできるし、言葉は時として慎重に使わないと誤解を生むこともあると思う。言葉は少な過ぎてもダメだが多過ぎてもダメだと思う。
最後に生徒さんに大江さんの感想を伝えると、『視点が変わったという事は成長したという事ですね』と。
まさかパーカッションのリズムの取り方に目がいくとは、私の魂や内面はやはり今でもサンビスタなのだ。