ご報告します。私、来月長崎に引っ越すことにしました。
なーーーーーんてね、今日はエイプリル・フールでした!笑
4月1日付けで読んでない人は真に受けちゃったかな、ごめんなさい。
昨夜22時、無事九州より生還しましたー!
長崎に心底夢中になった!!
これからは、もし旅行にオススメの場所として挙げるなら・・・・海外はサンパウロ、国内では長崎だな。
これまで旅をしてきた中で長崎は日本で一番美しい場所だと思う。
あと長崎の県民性というのかな・・・人柄がのんびりしていて大らかで、余所者(よそもの)にもめちゃ親切だった。
たまたまそういう人ばかりに出会ったのかもしれないけど、とにかく長崎は今度は本当にのんびりしに行きたい場所だ。
たった二日でもう浜松に戻るのが面倒くさくなるというとんでもない事態を起こしていて、賃貸アパートショップの「格安物件」の看板をチェックするなど、これ以上ここに滞在したら本気で移住を考え始めるかもしれない(それを心配した生徒さんからは講座があるので月一回は浜松に戻ってきてくださいとメールが来ていた)ので若干恐くなって早めに長崎を出立したわけなのだが。。。。
長崎を新婚旅行に選んだ父はエライと思う。笑
雲仙は・・・・多分母はそんなに好きではなかったんだろうと思う。というか行く直前にそう感じたから今回行かなかった。
今度父に会ったら聞いてみたいな。今回の旅行のことは家族には話していないので。
雲仙行きを直前に中止した理由は・・・また後日。結構不思議体験だからなー。
長崎に着いてすぐ、1000万ドルの夜景ツアーに行ってきた。
ツアーバスで稲佐山の福山雅治さんの実家前を通り過ぎると同乗していた女子が感動で涙していたが(強烈な福山雅治ファンのようだ)、同僚男性が「長崎は福山雅治の実家があるよ」という言葉を思い出し、特に願っていたわけではないがなにげに叶ったなーと思っていた。笑
暗くてほとんど見えなかったけど、後でネットで調べたら、ああそうそう、確かにこんな感じ!だった。
稲佐山の頂上から見た夜景は・・・・本当に美しかった。
あの感動は初めてブラジルのサンバカーニバルに参加して会場の装飾を見た時の感動と似ていた。
こんなところで告白とかプロポーズされたら、最高だなー。
歳甲斐もなく乙女モード全開になってしまった。
まあ、ここで告白すれば余程のことがなければ断られないだろう。(ただし行く前に、二人で稲佐山の夜景を見に行きたいと言ってここで断られたら最初からアウト)
浜松にも「引佐」(いなさ)という星が美しく見える場所があるので、浜松男子は引佐の星空の下で告白してみてはどうだろうか。
稲佐山が横綱なら引佐は関脇というところだが、私の感性もかなりズレているものの夜景と星空のセットが嫌いな女子はいないだろう。
曇り空だったので月も星もどちらも見えなかったが、それでも本当に美しかった。
帰ってきてもしばらくボーッとしていた。
言葉にできないっていうのはこういう気持ちのことを言うんだろうなー。
翌日は、さるく主催の出島ヘトルから「龍馬が見上げた長崎の空」のツアーに参加。
この出島とは・・・(WIKIより抜粋)
出島(でじま)は、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島である。
1634年から2年の歳月をかけて、ポルトガル人を管理する目的で、幕府が長崎の有力者に命じて作らせた。建設費銀200貫目(約4,000両)これを今のお金に換算すると約4億円となる[2]
http://www.saruku.info/course/Y146.html
出島ヘトルについた瞬間にもう建築物にやられてしまって、ギリギリでヘトルへ入場。
この日ラッキーなことにツアー参加者は私一人。笑
ガイドさんとマンツーマンだった。
福山雅治主演の龍馬伝が放映されている時はこのツアーも毎日満席完売御礼でそれでも人が溢れかえっていたという。
長崎は観光地だが、確かに見る場所は何箇所かあるけれど、案外主要スポットが一箇所に凝縮されているというか・・・・多分一日あればその殆どをさらりと見れるんじゃないかな。
ガイドさんはボランティアの方で定年された男性だったのだが、とにかく博識で社会科の先生かと思うくらいだった。
雑学にも詳しくて、「わからん」(分からない)って言葉は「和華蘭」(日本・中国・オランダ)からきているとか、江戸時代の長崎の風景写真など
小物類も充実していた。
落ち着いたらガイドさんに葉書でも書くつもりだ。
とりあえず、ここで長崎編①はここで終了。
今から遅めの朝ごはんなのだ。